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生い立ち

生い立ち

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  • リオン
  • 下衆の台詞ではみけ氏に勝てないことが良くわかった。

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「ほらよ」
 薄汚れた皮袋に詰まった銅貨を数え、グレナンは眉を吊り上げた。
「……なんだ。足りねえぞ」
「嫌ならいいぜ。俺ぁ別にギルの変態とは違ってアイツじゃなきゃいけないわけじゃねぇんだ。あと二日もすれば次の街に着く。そいつの半分でももっとマシな抱き心地の女が買えるんだからよ」
「……足元見やがって。この糞野郎」
 掃き捨てるグレナンに、傭兵仲間はへらへらとした笑顔を浮かべる。
「とっとと済ませて出て来やがれ! 後がつかえてるんだからよ」
「へいへい。おら、入るぞ、起きろくそ餓鬼!!」
 だらしなく頬を緩め、天幕の中に押し入ってゆく仲間を横目に、グレナンは安酒を煽る。ブッヒァバッハとか言う街の名産のワインらしいが、長旅で揺すられ陽に焼けて、すっかり発酵してまるで酢のようだ。
 いくら飲んでも胸焼けするだけで悪酔いしかしそうにない最悪の後味を吐き捨てて、グレナンは空になった酒瓶を投げ捨てる。
「……いいご身分だなぁ。羨ましいぜ、グレナンの大将」
 話しかけてきたのは丸坊主で小太りの男だった。彼は先月から隊に合流した新入りで、いきなり兜首を上げたことで少しばかり噂になっていた。
 にやにやと笑っている新入りの態度が気に食わず、グレナンは眉をよじる。
「なんだテメエ。今は客がいるぞ。後にしろ。……それともテメエもギルみてえに他の野郎と一緒の方がいいってのか、糞野郎」
「おいおい、待ってくれよ。俺にゃそんな趣味はねえって。他の奴と一緒にしねえでくれや、大将」
 新入りは器用におどけて見せ、少し離れた場所で焚き火を囲っていた男たちの間から笑い声が上がる。グレナンはそれがますます気に食わない。
「なんだ、俺ぁ、ちっとばかりコツを聞きに来たんだよ。なんだ、大将のところにゃ戦に出られねえ親父でも立派に食わしてくれる親孝行なガキがいるって話じゃねえか。俺も見習いたいもんさ。なぁ?」
 グレナンに聞かせるためというよりは、他の傭兵仲間に知らしめるような大声で、新入りはあたりを見回した。
「なぁ、ここだけの話しで教えてくれねえか? ああいうお綺麗なガキってのはどうやって手懐けりゃいいんだ?」
「テメエ、喧嘩売ってんのか!!」
 激昂したグレナンは新入りの胸倉を掴もうと手を伸ばす。
 が、新入りは事も無げにその手を払いのけ、グレナンは無様に地面に転がった。どっと笑い声があがる。
「おっと、すまねぇな大将。脚のことついつい忘れててよ」
「テメエら、何が可笑しいんだぁッッ!!!」
「おいおい、悪かったって言ってるじゃねえか。なぁ? 許してくれ、グレナンの大将」
 グレナンのズボンの空の右脚、ちょうど膝から下の部分が、ばたばたと風に揺れている。もはや戦場では役に立たない右脚が。足りない右脚が、じくじくと膿んで――グレナンを嘲笑っていた。

「くそ……」
 毒づきながら、グレナンは客の去った天幕を押し開けた。中からはむっとする熱気と生臭い臭気が溢れ、悪酔いした胸をさらにむかつかせる。
 襤褸切れの敷かれた天幕の奥からは、荒い呻き声と、休息を求めて喘ぐ吐息が聞こえてくる。耳に絡みつく艶かしい気配を振り払うように首を振って、グレナンは叫んだ。
「ぼやぼやしてんじゃねえ!! 次の客だ、起きやがれ!!」
 襤褸に埋もれた金髪を掴んで引き上げ、怒鳴りつける。
「ぅ……」
 辛うじて顔を動かし、呻く少年。その唇からつぅ、と血がこぼれてゆく。
「食わせてもらってる分、ちゃんと働きやがれ!! テメエにゃそれしか能がねえんだからよ!! あぁ!?」
 倒れこむ美しい全裸の少年は、汚れきった天幕のなかにはあまりに似つかわしくない。まるで神が産まれるべき性別を間違えたかというように。男の欲望と汚辱に塗れ、あちこちに青痣や膿んだ傷をつくりながらも。その容貌は損なわれていない。
 ぐったりとした少年が、ごほりと咳き込んで――そのまま嘔吐する。
 その姿すら、どこか鮮やかで淫蕩であった。
 鬱陶しさを紛らわすかのように少年の頬を杖の先で殴りつけ、唾棄して。グレナンは脚を引きずって少年に覆い被さる。
「……疫病神め……!!」
 有る筈のない右脚に、じくじくとした幻痛を覚えながら。震える指で少年の白い喉を締めた。少年は抵抗しない。息を詰まらせながら、生気のないガラス玉のような瞳で宙空を見上げているだけだ。

 丁度、あの赤ん坊を拾ったのも今日のような血のように真っ赤な夕焼けの日だった。隊付けの娼婦、シェスを孕ませてしまったグレナンは責任を取らされて彼女の胎の子供を始末させに街まで遠出し、痛む脚を引きずって隊まで戻る途中だった。
 街道傍に捨てられていた馬車の傍らに、無残に引きちぎられた死体。
 泥と血にまみれて、その赤ん坊は泣いていたのだ。
 戦や争いとは無縁の真っ白な肌と、エルフが細工したような見事な金髪。男に産まれたのが勿体ないくらいの綺麗な赤ん坊。
 梅毒が頭まで回ったシェスはその赤ん坊を自分の子と勘違いし、拾って育てると聞かなかった。ふざけるなと殴り付けたグレナンだが、彼女はどうしてもその赤ん坊を離そうとはしなかったのだ。

《アタシの子だよ――これは、アタシとアンタの子だ!!
 もう殺させるもんか、絶対に、絶対に!!》

 シェスはそれから間もなく死んだ。結局、グレナンは何もかもの面倒を押しつけられた形になる。
「くそったれがっ!! どいつもこいつも、俺を馬鹿にしやがって!! ふざけんな、俺を誰だと、誰だと思ってやがるんだっ!!」
 がくがくと少年の身体が揺れる。糸の切れた人形のように。
 歩けない傭兵に価値はない。獣同然の薄汚れた子供一人のお蔭で、今のグレナンは食い繋いでいる。かつては隊長すら務めた男が、子供のおこぼれを拾い集めて生きているのだ。
「ちくしょぉ、ちくしょおおおおおっ!!!」
 あの日。血のように赤い夕焼けの日。
 赤ん坊だった少年が、ただひとつの身の証だというかのように血塗れの手で握り締めていた、指輪が――
 グレナンの懐から落ちて、物陰に消えていった。

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